八幡屋本店は明治35年(1902年)に秩父神社前(現店舗の所在地)にて創業し、平成26年(2014年)で112年を迎え、当主は四代目となります。
「八幡屋」という屋号の由来は、埼玉県児玉郡児玉町(現埼玉県本庄市児玉町)の総鎮守・八幡神社の名前からつけられました。それは初代が、当時の児玉町にある「梅月堂」という菓子屋で生まれ、秩父市に来て、菓子屋を開業する際、その名にちなんだとされています。
八幡屋本店の「和銅最中」は創業当初からの味わいを受け継ぎ、多くの方々に長く親しまれ、秩父の銘菓として今に至っています。
「和銅最中」は初代が「古代最中」として売り出しました。
その後、秩父由来の古銭「和同開珎」貨幣にあやかって「和銅最中」と改めて販売したのが戦後間もない昭和21年のことでした。
「和銅最中」は昭和34年(1959年) 5月全国菓子品評会にて岸総理大臣賞を受賞しました。
その後も、秩父土産の代表として数多くの方々に親しまれてきました。
八幡屋本店の店先に掲げられている看板の書体は、当家の菩提寺で、秩父札所15番のルーツである鎌倉は建長寺に初代が寄進をしたその御礼として建長寺(今から四代前)の曇花管長による揮毫(きごう)で、独特の趣と共に時代を感じさせます。
三代目は若くして東京・新宿にある花園まんじゅう店、芝高輪の虎屋など、お菓子の老舗で修業を積み、さらに製菓学校で学びました。その後帰郷し昭和33年八幡屋本店を継ぎます。
この三代目は昭和期の文化を吸収し、お菓子作りにその時代の息吹を与えることを由とし、時代のニーズに応えるべく、和菓子にとどまらず、様々なお菓子のバリエーションを増やし、現在に至っています。
四代目当主 熊崎一仁
山紫水明の地、秩父において清らかな水と空気で仕込み、吟味を重ねた材料と先代から受け継がれてきた熟練し、洗練された技が織り成す八幡屋本店のお菓子は地元秩父にとどまらず、多くの方々にご賞味頂き、秩父路のお土産として親しまれてきました。
しかし高度に進化した情報化社会の中においては、「秩父の銘菓」としてお客様に親しまれた八幡屋本店のお菓子も見過ごされがちです。
そんな今だからこそ、もう一度八幡屋本店ならではのお菓子作りを考え直し、お客様の求める「味わい」、「風味」、「美味しさ」を追求する新たなお菓子作りの始まりと位置づけています。
三代目の時代のお菓子作りは昭和の高度経済成長期とリンクし、お客様のニーズの多様化とともに お菓子作りも変わり、バリエーションも増えていきました。
しかし今に至っても、例えば「和銅最中」の味わいは昔のままです。 これは「時代が変わっても変わらない」お客様と私共で築き上げた「八幡屋本店の味」といっても 過言ではないでしょう。
これらを踏まえ上で現在のお菓子作りにおける私共のテーマは。
昔からお菓子は人々の心を和ませ豊かにするものとして親しまれてきました。材料や作り方など幾通りにも形を変えることができるのがお菓子であり、当店は多様化するお客様のニーズにあわせて商品開発に取り組んできました。時代・用途に合ったお菓子作りをするためにも、様々な視点からの商品開発が必要となってきます。
現在秩父地域の様々なところで商品化がすすめられている、秩父産のカエデの樹液を使用した商品開発を行っています。
当店では、お菓子とカエデの樹液のコラボレーションをテーマに、すでに「カエデのお菓子」「くずきりゼリー」として店頭販売もしています。新しい秩父のお土産として、たくさんの方にお買い求めいただいています。
2011年4月から6月までフジテレビなどで放送されたアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
秩父市が舞台設定のモデルとなっており、作中で実在する建物、風景などが多く登場することで知られています。
八幡屋本店も同アニメに登場したことで、店頭にはたくさんの若者やアニメファンが訪れるようになりました。アニメとのタイアップ商品として様々なお菓子を開発し、トレンドの発信を行っています。
そして、老舗の伝統を守りながら、何よりお客様に喜んでいただけることを念頭に、心をこめたお菓子作りを行っていく所存です。